富貴蘭学事始
植え込み基材の変転富貴蘭を楽しむ江戸時代明治・大正・昭和現在
 ★★富貴蘭植え込み基材変転の歴史★★

 風蘭が鉢栽培されるようになってから如何なる植え込み基材の変転を経てきたか定かではないが、大まかな流れとして・・・

A)図
A)図に示す様は400~500年前、「仙草」或は「吊り蘭」と呼ばれていた頃の風蘭は、花が咲き香り芳しき頃、山より採ってきてシュロ縄で括り軒下に吊るした。と古い文献にも描かれている様に鉢栽培はされていなかったと思われる。

 凡そ200~300年前江戸時代中期の錦絵に描かれている図会から推測すると、鉢栽培されていたことは明らかである。その頃の植え込み基材は、山苔を使用していたことは図会から想像出来る。当時のイメージを再現して見たのがB)図

B)図
である。山苔ノミの植え込みでは、今年根が来年の生育根として残る程度で、とても良作は望めなかったと思われる。後年主流となる高植えから想像すると、既に山苔の中心に「消し炭」を忍ばせていたかも知れない。
その理由は明治時代に入って、洋蘭の栽培方法から「水苔」を活用するに至り、その芯苔の中心に消し炭を用いて、b)図

b)図
のような芯苔を作り、高植えが考案されたのではと思うのである。棒状の消し炭を中心に数水苔で包んで使った旨の記述が古い資料で読んだことがあり、その植え替え方法が其の後、昭和40年代頃まで富貴蘭の中心的植え込み方法であった。 筆者が富貴蘭作りを始めた昭和60年頃も稀に木炭を中心に巻いて植え込んだ富貴蘭が散見されたものです。
当時入手した富貴蘭を、炭芯のママ栽培していると、消し炭植えは比較的乾きが良好であったが、新しい「木炭」を使った鉢は乾きが遅く最悪の結果だったと記憶している。
 現在主流になっている空洞山高植えのルーツは、伝え聞くところ昭和40年代に、浜松市のS氏の発明でC)図

C)図
の様にパイプに水苔を巻きつけ富貴蘭を据えて長い水苔で根を覆い形を整えてから、中心のパイプを抜いて鉢に据える、と云う画期的な「空洞山高植え」が考え出されました。
 それ以来、飛躍的に富貴蘭の作は向上したが、富貴蘭初心者にとっては植え替えのテクニックが至難の業であり、富貴蘭入門の登竜門と化してしまった。しかしながら、そのテクニックを習得できた趣味者は、いとも簡単そうに富貴蘭の植え替えはこの方法以外考え付かないと口をそろえて云う。 
 もう少し簡単に植え替えが出来ないものかと考案したのがD)図

D)図
の芯苔を予め作って置く方法です。平成元年、筆者の考案で予め水苔を筒状に手巻きで作り、完全乾燥して作り置く方法を開発、特許を取得して趣味者に作り方をホームページ等で広く公開、乾した芯苔に富貴蘭を跨がせて直接鉢に植え込めるので特別なテクニックもいらず、誰にでも手軽に富貴蘭の山高空洞植えが可能になったのと同時に、乾かした芯苔を使用することで、初期乾燥が速いため季節を問わず何時でも植え替え株分けが可能になると云う画期的成果を生んだ。(根の活動期は控えたほうが良い事は言うまでもありません。)

E)図

E)図
は手巻き芯苔を参考に更に工夫を凝らし、水苔を型に圧入し硬度の確保と滑らかな木肌の環境に近づけ、頭頂部に通気穴を設けたのが「圧縮成型苔台」です。勿論圧縮成型苔台は日干しで完全乾燥してあるため、植え替え後の初期乾燥が速いので季節を問わず何時でも植え替え株分け出来るのに加え、以後の管理も緩やかな乾きと密度の高い芯苔からの補肥効果と保温性、更に軸付近の通気性は圧縮成型苔台ならではの効果が期待できます。
圧縮成型により含水率が安定しているため、如何なる富貴蘭鉢にも対応出来る理想の富貴蘭専用の植え込み基材であります。



 
  [美術株の仕立て方]
・・・気品ある美を求めて・・・
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富貴蘭の株立ちは、気品ある美しさを引き立てるためにも一本一本の位置関係を見極めた常日頃の培養が重要になる。美術株の美しい株の配置は右図に示す扇形と三角形形が基本となり、年々歳々株が増殖していくと全体にバランスの良い美しい株として完成する。
 扇形は、あまり多数株に増殖すると全体のバランスが崩れやすく、出来れば10本前後の株立ち向きと云えます。
 三角形は、扇形を3方に配した超大株向きで、増殖しても全体のバランスは形良く維持出来る基本形です。増殖の際は扇形親株に対して方向違いの子木が出た時は、早めに株分けして親株の形の維持に勤めることが重要です。